中村草田男の「よもだ」論

「いい加減なこと。とぼけること」といった意味合いでつかわれる伊予の方言「よもだ」。中村草田男(松山出身の俳人)は八木絵馬(本名毅・旧川内町出身・英文学者)との対談の中でこの語を取り上げ、以下のようなことを述べている。

中村 そうそう。松山言葉での「よもだ」だ。「よもだ」というのは、非常に松山の人にぴったりした、一種独特のものです。私なんかも、あるいは、その範疇に入るかもしれない。「よもだ」というのは一応ものはわかっていて、見えているけれども、ヴァイタリティがそれほどには伴ってなくて、しかし諦めずにいつまででも粘っておる、というような気質です。それを「よもだ」というですね。
編集部 虚子は「よもだ」ですか?
中村 「よもだ」でしょうね。
八木 「よもだ」でしょう。
中村 (中略)虚子先生が口占のようにすぐ次に出す言葉「なるようにはなるさ」-つまり、一切を投げ出すのではなくて、未解決のままで、ジリジリと手放さないで持ちつづけていく……。
八木 横着とか、ずるいとかいった要素があるでしょう。それに、とぼけとか。
中村 そういう全部の要素を一つにして、しかも粘っているのが「よもだ」ですね。
(中略)
八木 もう一つ、松山の人間の悪いほうですけれども、だいたい軽佻浮薄だと思いますよ。おっちょこちょいなんですよ。流行をすぐに追う。お祭り騒ぎが大好きですね。何でもにぎやかに騒ぎたがる。
(中略)
編集部 ただ、それが、大事をなすときの必要要素でもあるわけですね、子規にもそういう面があったのではないでしょうか。
中村 大いにあったんですね。(中略)或る人が、「世で何か一つの仕事や事業を成就する人は、ある程度のおっちょこちょい的な要素がなければ絶対にだめだ」といったのですよ。そいつは本当だと思うんですよ。ただ、冷静な判断と、着実な持続性だけでは、大事業は成就しない。何か事業家という人は、おっちょこちょい的な、勇躍、飛躍の要素がなければならない。子規なんか非常なおっちょこちょいでしょう。あのあらゆる方面に亘っての「新しもの好き」の素質の発揮は誰の目にも明らかですし、俳句・短歌・写生文の改革・創設、すべて「新しもの好き」の、おっちょこちょい的な素質に根ざしているともいえる。
(中略)
中村 そこで、本題に戻りますが、松山人気質というのは独特だと思います。先ほど言った「よもだ」ですけれども、私はそれを肯定するんです、事実として。「よもだ」がうまく発揮されればいいんですね。私なんかがいってはいけないんだけれども、松山の先輩のすぐれた人々にも、誠実な人々にも、多かれ少なかれ「よもだ」の柔軟性と強靭性とは認められるんです。(中村草田男・八木絵馬「近代俳句のメッカ-松山」)


草田男によれば、「よもだ」は松山の人間の特質をいいあらわした一種独特の言葉。柔軟性と強靭性とを兼ね備えた精神的な意味が「よもだ」にはあるという。自身もその「よもだ」の範疇に入るかもしれないと述べた草田男。本気で言っているのか、冗談で言っているのか、何とも見きわめのつかないところが「よもだ」の「よもだ」たる所以である。

【参考文献】
『中村草田男全集15 座談・対談Ⅳ』みすず書房 1988年3月

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草田男「祖母恋し正月の海帆掛船」

祖母恋し正月の海帆掛船(ほかけぶね)


中村草田男(1901-1983)、昭和18年(1943)の句。亡き祖母が恋しいとの想い……。眼前の光景ではなく、追憶のイメージであろう、海に浮かぶ一艘の帆かけ船。正月、作者の心には祖母が恋しいという想いと海に浮かぶ帆かけ船のイメージとがゆらめいている。駘蕩とした雰囲気の句であるが、詠み込まれている作者の思いは深い。帆かけ船が浮かぶとイメージされたこの海は故郷の海、草田男はここで故郷伊予の明るく穏やかな海を想い起こしているのであろう。

【典拠文献】
『中村草田男全集2』みすず書房 1989年8月

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草田男忌

8月5日は俳人中村草田男の忌日。
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「夕櫻城の石崖(いしがけ)裾濃(すそご)なる」
東雲公園(松山市東雲町)にある中村草田男の句碑。草田男の生前に建てられた句碑で、除幕式が昭和58年(1983)8月6日に予定されていたが、草田男はその前日に急逝した。句の「裾濃」の原義は、染色で上の方を薄く、裾の方を濃く染め出すこと。

【参考文献】
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市役所 1994年4月

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「うち」と「なか」

「うち」と「なか」、同義語といわれるかもしれないが、もともとは次のような意味の違いがあった。
「うち」=「一定の区域や範囲の内側」
「なか」=「物と物とに挟まれているあいだのところ。上下、左右、前後の中間」

万緑(ばんりょく)の中や吾子(あこ)の歯生(は)えそむる


中村草田男の有名な句。この句の「中」の字、小西甚一『俳句の世界』では「うち」、大岡信『百人百句』では「なか」の振り仮名が付されている。上記のような意味の違いからすれば、この句の場合「うち」が適切なのだが、句としての響き、調べの面からいうと、「なか」とよむほうが力強く、爽やかである。草田男自身はどうよませるつもりだったのだろうか。彼の全集本でもこの句の「中」には振り仮名は施されていない。

【参考文献】
小西甚一『俳句の世界』講談社学術文庫 1995年1月
大岡信『百人百句』講談社 2001年1月

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草田男の生前句碑

松山出身の俳人中村草田男は、作者生前の文学碑を建てるべきではないという意見を持っていた。「あらゆる文学碑・詩碑なるものは、本来その作者の生前に建てられるべきものではあるまい。その人自身が逝ってしまえば、世間は直ちにといっていいくらいにその人のことを忘却するのがならわしである。若し、没後何年かを経過してもなお少数の人々が故人のことを追慕してやまない場合に、その人々の手によってまごころこめて質実に建立されてこそ、はじめて文学碑・詩碑の意義が実現されるわけである」(中村草田男『子規、虚子、松山』)-であるにもかかわらず、草田男の生前に建てられた句碑というのが松山沖の中島(怱那諸島最大の島)にある。松山北高校中島分校の校庭に建てられている「一度訪ひ二度訪ふ波やきりぎりす 草田男」の句碑がそれである(昭和39年8月建立。草田男唯一の生前句碑)。この句碑は草田男の友人グループが、草田男に知らせると反対されるだろうからという理由で、当人に知らせないまま建立したもので、除幕式さえも草田男の出席を求めず実行したという。事後承諾という形になったが、草田男は「めったに人目のない、あの静かな島の、あの素朴な高校生達だけのいる校庭の一隅に何気なくひっそりと立っているのである以上(中略)私は、この〈生前の句碑〉建立を、よろこばしく承認し、感謝せざるを得なかったのである」(同上)と述べている。

【参考文献】
中村草田男『子規、虚子、松山』みすず書房 2002年9月

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