天和4年、三津の漁師が犠牲となった情島での事件

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情島(なさけじま)・諸島(もろしま)は山口県の離島。情島は有人島、諸島は無人島である。

天和4年(貞享元年・1684)、古三津村・堀川の漁師九人が出漁中に悪天候を避けて、情島に上陸した。島では直前に発生した強盗事件の犯人集団を搜索中で、九人はこれと間違われ、殺害されて海に流された。冤罪であったことはのちに判明し、島では九人を地蔵尊として手厚く祀った。

古三津村の堀川にも九人のための祀堂が立てられ、「九人地蔵尊」「お九人さん」などと称された。この堀川の祀堂が中須賀に移ったのが現在の「九人地蔵尊」である。

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松山市中須賀3丁目の「九人地蔵尊」。地蔵菩薩像も新しいものとなっている。

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戦艦陸奥(3)

前回のつづき)

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「陸奥記念館」近くの丘にある「陸奥之碑」。昭和38年8月建立。

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「陸奥」が爆沈したのは記念館のある伊保田の北西約3㎞の柱島泊地。この泊地は戦時中、連合艦隊の最大の根拠地で、100隻以上の艦艇が集結していたこともあったという。

日本海軍の艦艇は「三笠」「松島」「筑波」「河内」「陸奥」などが爆発事故によって沈没している。「三笠」は水兵が火薬庫の中で宴会をしていたためであったが、他は原因不明。海軍の情報に詳しい中井久夫は、「日本の艦はよく爆沈するが、少なくとも半数は制裁のひどさに対する水兵の道連れ自殺という噂が絶えない」という。

「陸奥」の爆沈で艦内から流れ出た物品が瀬戸内海沿岸の各地に漂着した。松山の沿岸には防寒服の梱包1個が漂着、中島の長師の浜には水兵帽が多数流れ着いたという。爆沈の20日後には津和地島の西端に「陸奥」の副長の遺体も流れ着いた。軍は「陸奥」の爆沈を公表しなかったが、艦艇が沈没して多数の死者が出たらしいという噂は瀬戸内地方から全国の各地に伝わって行った。

【参考文献】
中井久夫『関与と観察』みすず書房 2005年11月
山野芳幸『忽那諸島界隈はええとこぞなもし』株式会社エーシー 2006年8月
吉村昭『陸奥爆沈』(改版)新潮文庫 2012年7月

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戦艦陸奥(2)

前回のつづき)

「陸奥記念館」近くの丘には、引き揚げられた「陸奥」の艦首部分、副砲、推進機が展示されている。

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艦首部分。重量16t。昭和47年2月20日引き揚げ。

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副砲。18門装備されていた副砲のうちの左舷16番砲だという。砲身の長さ7m。昭和48年6月28日引き揚げ。

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推進機(スクリュー)。4基のうちの左舷内側のもの。重量約11t。昭和46年3月15日引き揚げ。

「陸奥」は大正10年(1921)10月竣工の「長門」型戦艦。昭和9年(1934)からの2年を費やした大改装で、世界最強といわれるほどの戦艦となった。太平洋戦争中も海軍の主力艦として温存されていたが、昭和18年(1943)6月8日、謎の爆発事故を起こして沈没。この事故については吉村昭のドキュメンタリー小説『陸奥爆沈』が詳しい。

【参考資料】
吉村昭『陸奥爆沈』(改版)新潮文庫 2012年7月 

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