秋山好古揮毫「履脱天満宮」の神名石

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履脱天満宮 
    陸軍大将秋山好古書


松山市久保田町・履脱天満宮(くつぬぎ-)の神名石。秋山好古の揮毫。明治44年(1911)6月建立。

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秋山好古揮毫「御大典記念」碑(雄郡神社)

雄郡神社(松山市小栗3丁目)の境内にある秋山好古揮毫の「御大典記念」碑。

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昭和天皇即位の大典の記念碑。「御大典記念 陸軍大将秋山好古書」。碑陰には「昭和三年拾一月 小栗青年団 小栗少年団」とある。道後公園にも秋山好古揮毫の「御大典奉祝記念」碑がある(→過去記事)。

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秋山好古の死

今日11月4日は秋山好古(1859-1930)の忌日。

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道後鷺谷には秋山好古の墓がある。

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かれは数日うわごとを言いつづけた。すべて日露戦争当時のことばかりであり、かれの魂魄はかれをくるしめた満州の戦野をさまよいつづけているようであった。臨終近くなったとき、「鉄嶺」という地名がしきりに出た。やがて、
「奉天へ。――」
と、うめくように叫び、昭和五年十一月四日午後七時十分に没した。(司馬遼太郎『坂の上の雲』「雨の坂」)


『坂の上の雲』では、好古の最期の言葉を「奉天へ」としているが、その場に実際にいた秋山中(秋山真之の三男)の証言によると、「馬引け」が最期の言葉であったという。

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秋山好古揮毫「和気浜」の碑

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和気浜にある秋山好古揮毫の碑。「伊豫十二景之碑 和氣濵 好古書」とある。和気浜が「伊予十二景」の一つに選定されたことを記念して和気村青年団が建立した。「伊予十二景」は鹿島、白猪の滝、極山の薬師、歌仙の滝、砥部銚子の滝、麻生金毘羅権現、久万の台、宮内天満宮、仙波ヶ嶽、重信川、重信橋、和気浜。

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和気浜。

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和気浜の松並木。

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和気浜より北条方面。

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秋山好古、幻の人事

第19代内閣総理大臣・原敬はらたかし)の日記、大正10年(1921)7月2日条に、「秋山好古を参謀総長に……」という旨の注目すべき記述がある。

前回閣議後、山梨陸相内談に、来月即ち本日、上原参謀総長其職を去り、辞意申し出たり、秋山大将好古を以て後任に充つべし。(中略)上原・秋山の事は、田中陸相在職中の内約にて、即ち山梨之を決行するものなるが、是れにて従来参謀本部が常に軍国主義を固持して陸軍大臣に抗争し、即ち閣議にも影響せしめ、田中等が常に板ばさみとなりし事を除く事を得べき計画なり。果して予期通に行はるゝに至らば、国家の一進歩を促すべしと思はる。(「原敬日記」大正10年7月2日条)


原敬は上原勇作参謀総長の後任に秋山好古を充てることを考えていた。当時、参謀本部は「軍国主義を固持して陸軍大臣に抗争」。この参謀本部の暴走を抑えることができるのは、軍国主義者でない軍人、秋山好古をおいてほかにないと原敬は考えたのであった。秋山を参謀総長にすれば、参謀本部の暴走はくいとめられる。それは「国家の一進歩」にもなると原は考えていた。軍の暴走を防ぐための人事。だが、この人事は実現せず、原は暗殺され(大正10年11月4日)、秋山は故郷松山で中学の校長となった。原の構想していたこの人事がもし実現していれば……。最晩年、一中学の校長であった秋山の死は昭和5年(1930)11月4日、その忌日は奇しくも原と同じであった。

▼ 秋山好古銅像(松山市歩行町「秋山兄弟生誕地」)
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【参考文献】
松本健一『原敬の大正』毎日新聞社 2013年9月20日

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