「老梅樹の忽開起のとき……」

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老梅樹の忽開華のとき、華開世界起なり。華開世界起の時節、すなはち春到なり。(道元『正法眼蔵』「梅華」)


一輪の梅の花が開くとき、世界の全体が春として現起する。一輪の花にも世界の全体が参与している。どんなものにも、存在の限りない深みがある……。

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「小生は非常に海を愛し候」

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小生は非常に海を愛し候。一日にても海の波をながめおり候。浪は無限その物の動きのようにて候。(大正9年8月4日付・田辺元あて西田幾多郎書簡)


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心おとろえたときは海に行こう。心熾(さか)んなときも海に行こう。(中略)海はその涯しない広さと、生気にみちた明るさと、絶えまのない動きとによって、われわれを内部へではなく外部へと向かわせる。山は人を抱擁し、やすませ、休息させ、内省させるが、海は人を解放し、逃亡させ、活動させるのである。それゆえに、海に行こう。自ら心に恃(たの)むところのある者は山に行くがよい。山は彼らの思いを浄め、その暗く深い谷で彼らの孤独を養い、その聳え立つきびしい高さで彼らの孤高を磨くであろう。しかし、忘却と自由とを、解放と夢とを願う者は、海に行こう。海は縛られた心を解き放ち、紺青の波が無辺の遠くから運んでくる爽やかな大気でわれわれを満たし、岸々を洗う縁飾りのようなその白い波頭で感情と思考とを洗うのである。(矢内原伊作「海について」)


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海は、大地のように人間の営為と生命の痕跡をとどめはしない。そこには何ものもとどまらず、そこを通るものはすべて逃げ去る。海を横切る船の航跡も、どんなに早くかき消えてしまうことか! 地上の事物には決して見られない海の純粋さはそこから生じる。(プルースト『楽しみと日々』)


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これらの小さな島々は、どれもこれも似たりよったりだったが、それが私の旅情をそそったのは、生涯、またとその島を訪れることのないのがわかっていたからである。こういう眼で眺めると、それらの島々のひとつびとつが、なにかしらこの世のものではないように思われた。船がしだいに遠ざかっていくにつれて、島影が水と空の彼方に没してしまうと、まさかそんなことがとは思っても、それらの島々が、私のチラリと見たのを最後に、この世界から永遠に姿を消してしまったような気がしてならなかった。(モーム「四人のオランダ人」『コスモポリタンズ』)


【参考文献】
矢内原伊作『矢内原伊作の本1 顔について』みすず書房 1986年10月
モーム作・龍口直太郎訳『コスモポリタンズ』ちくま文庫 1994年12月
『西田幾多郎随筆集』岩波文庫 1996年10月
プルースト作・岩崎力訳『楽しみと日々』岩波文庫 2015年1月

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「野蛮な時代」

ゲーテ(1749-1832)は自身が生きた時代を「野蛮な時代」であると認識していた。

「ニーブール(注-近代の批判的歴史学の創始者)は、野蛮な時代がくる、といっていたが、それは正しかった。」とゲーテはいった。「その時代はすでにきている。われわれはもう、そのまっただ中にいるのだ。なぜなら、野蛮であるということは、すぐれたものを認めないということではないか。」 (『ゲーテとの対話』1831年3月22日の項)


この「野蛮な時代」は今もつづいている。われわれはまだ、そのまっただ中にいると認識しなければならないのではなかろうか。

【参考文献】
エッカーマン著・山下肇訳『ゲーテとの対話(中)』岩波文庫 1968年12月

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ケーベルの愛弟子・久保勉

岩波文庫から出ている『ケーベル博士随筆集』はケーベル(1848-1923)の愛弟子の久保勉(くぼまさる 1883-1972)の訳編になるものだった。久保勉は伊予郡米湊村西野(現在の伊予市)の生まれ。松山中学を経て海軍兵学校に入学。日露戦争に従軍したが、病のため軍籍を離れ、東京帝国大学哲学科に入った。大学で師事したケーベルの影響で、古代ギリシア哲学を専門とする学者の道を歩む。ケーベルに対してはその死まで内弟子のような立場で献身的に仕えた。昭和戦前は東北帝国大学教授、戦後は東洋大学教授。岩波文庫で今も版を重ねている『ソクラテスの弁明・クリトン』『饗宴』はこの人の訳になるものである。

久保勉訳編の『ケーベル博士随筆集』から少し引用しておこう。

我らが美を観じこれを把握する官能は想像力(ファンタジー)である――これは就中(なかんづく)芸術に独特必須なる官能である。あたかも想像力を離れて芸術のないのと同様、これを離れてはまた真の道徳も、宗教もないのである。

およそファンタジーなくしては真に人間らしき生存は考えられない。ファンタジーなき人間にとっては真なるものも美なるものもまた善なるものも存しないであろう、何となれば現象界においては、換言すれば感官的知覚もしくは経験にとっては何一つとして、それがファンタジーの媒介を経ざる限り、真でも美でもまた善でもないからである。世界が混沌にあらずしてコスモス(調和あり秩序ある世界の意)であり、また倫理的秩序であることを我らが認識するのは、ひとりファンタジーの力によるのである。


ケーベルの思想の核心には、ファンタジーの力に対する信頼があった。ケーベルの門下生たちにもそれはうけつがれているかもしれない。

【参考文献】
久保勉訳編『ケーベル博士随筆集』岩波文庫(改版) 1957年11月
『愛媛県百科大事典(上)』(大浜正隆執筆「久保勉」の項)愛媛新聞社 1985年6月

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ケーベル先生

哲学・西洋古典学を東京帝国大学で長く教えたラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)は、多くの学生に慕われた理想的な教師であった(昨日のブログ記事参照)。

文科大学(注-東京帝国大学文科大学)へ行って、此処で一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人迄は、数ある日本の教授の名を口にする前に、まづフォン・ケーベルと答へるだらう。斯程(かほど)に多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始渝(かは)らざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けてゐる。先生が疾くに索寞たる日本を去るべくして、未だに去らないのは、実に此愛すべき学生あるが為である。(夏目漱石「ケーベル先生」)


西田幾多郎(1870-1945)はケーベルにそれほど親炙したほうではないが、「哲学者は煙草をすわなければならない」というケーベルの教えだけは実行するようになった。

私が先生についたのは、僅に先生が日本に来られた最初の一年間位のことであり、かつ初から先生と傾向を異にしていた私は、先生の教について今日まで何一つ実行したものがない。唯先生は私が煙草をのまぬのを見てPhilosoph muss rauchen.とからかわれたが、今は煙草だけはのむようになった。しかしそれだけ私の真似できない多くのものを有っておられた先生が尊かったように思われる。(西田幾多郎「ケーベル先生の追懐」)


波多野精一(1877-1950)はケーベルによって真に哲学に導かれたという。

私自身にとっては先生こそ真に哲学へ導いた師であったことは、その後のあらゆる変遷や発展を通じて私がいつも感謝を以て想い起す学生時代の体験である。(中略)しかしながら先生の本質は学問や哲学には尽きて居なかった。すべての専門すべての一技一能――先生が音楽に堪能であったことは人の知る通りである――を超えて先生において尊かったものは、先生の人格である。けだし先生のような円熟した個性をそなえた人は稀に見る所であろう。(中略)私は今不思議の魅力を有した先生の人格の秘密を探求しようとも啓示しようともする者でない。しかし先生には学者とか君子とか有徳の士とかいうような窮屈な型を超越して広いのびのびとした処があったことは誰しも感附かずには居られなかった。今私の感じ得た所が正しいならば、先生にとっては生そのものが芸術であり自己の人格自己の個性そのものが極めて尊き神聖なる芸術品であったのである。先生が教養に重きを措き自らも深き広き豊かなる教養をそなえられたのもそのためである。(波多野精一「ケーベル先生追懐」)


波多野は毎年、ケーベルの命日になると師の写真を取り出し、一日机上に飾っていた。ケーベルを師としたことに誇りを持っていて、「自分の先生はケーベル先生の他にはない」と語っていたという。

久保勉(くぼまさる 1883-1972)はケーベルを「自身の哲学を生きた人」であったと述べている。

ケーベル先生は一方において哲学や文学の広い領域に通暁しかつ到る処で独自の見識をもった学者であると同時に、他方においては才能を恵まれた芸術家でもあった。しかし先生にあっては多くの芸術家や学者に見られがちな学者臭とか芸術家臭とかいうものはみじんもなかった。先生は哲学者即ち愛智者であった。智慧を愛する者として先生は実生活の上でも真剣に智慧の指示に服従し、その具現に努めた。言いかえれば先生は自身の哲学を生きた人である。実際先生にあっては、哲学即生活(ロゴス即ビオス)であり、両者は相即不離の関係にあったのである。(久保勉訳編『ケーベル博士随筆集』巻末解説)


久保はケーベルの晩年、十数年にわたって起居を共にし、師の死去まで忠実に仕えた。その献身的な仕えぶりにケーベルの他の弟子たちからも感嘆の声がもれたという。

【参考文献】
久保勉訳編『ケーベル博士随筆集』岩波文庫(改版) 1957年11月
『漱石全集』第12巻 岩波書店 1994年12月
上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波文庫 1996年10月
竹田篤司『物語「京都学派」-知識人たちの友情と葛藤』中公文庫 2012年7月
波多野精一『時と永遠 他八篇』岩波文庫 2012年8月

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